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【最後の宰相、田中角栄⑫】角栄の朝は2時。天才はこうして生まれた。

田中角栄は朝2時に起きた--。ご存じでしょうか。「朝2時まで飲んでいた」の間違いでは?そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、事実なのです。朝2時には起きていたのです。

では何のために?勉強です。毎晩午前零時までに官僚が角栄宅まで資料を届け、それを2時に起きた角栄が読み込んでいたのです。33本という驚異的な議員立法を成し遂げた角栄、単に記憶力が良かっただけではありませんでした。徹底した努力がそこにはあったのです。意外ですよね。興味深いお話なので是非、ご覧になってください。

このブログは以下のポイントを解説しています。

●角栄は朝2時に起きて何を勉強していたのか
●資料は誰が用意した?
●コンピューター付きブルドーザーって相当、地頭が良かったの?

目次

1、午前零時、官僚が走る

角栄の秘書官は大変でした。夜更けまで仕事をして「やっと一区切りついた」と思ったところで、もう一仕事。角栄が朝2時から読む資料を作成しなければならなかったからです。タイムリミットは午前零時。この時間までに角栄の自宅のポストに資料を投函しなければならなかったのです。「明日は国会がある」なんて日は大変です。頭に入れておいて欲しい事実や数字、今までの経緯といった資料を取り揃え、目白まで走りました。

角栄は新聞も大好きでした。全国紙はすべて読んでいましたし、専門紙や業界紙にも目を通していました。専門紙の小さなベタ記事まで読んでいて、時々、秘書官は車のなで「あおれはどういう意味なんだ?」と聞かれるので、朝、角栄に会うまでに新聞を全部、読んでおかなければならないので大変だった、といいます。それくらい角栄は勉強家だったのです。

2、血のにじむような陰の努力

「資料は届けたけれども本当に読んでいるのか」。そんなふうに疑う必要は全くありませんでした。次の日、国会で角栄がデータを使って鮮やかに答弁する姿を見れば、ああ、あの資料に盛り込んだ数字をきちんと記憶して理解してくれているな、ということがすぐに分かるからです。角栄は資料を隅から隅まで読んでいました。

通産大臣、総理時代に秘書官を務めた小長啓一氏は角栄のことをこう評価しています。

「天才たらしめる、ものすごい努力が陰にあった。それが人には分からないように懸命に努力しているのが田中さん」

3、角栄の親指に鉛筆の芯

 角栄の最終学歴は二田小学校です。しかし、新潟から上京してから夜学に通い勉強をしています。1934年のことです。昼間は工事現場で誰よりも働いていました。朝5時から夕方5時まで。土砂や建築資材を担ぎ運ぶ仕事で、くたびれ果てて、それでも学校に通いました。

学校に行っても、昼間、働きづめに働いているわけですから当然、眠くなる。しかし、眠いからと言って本当に寝てしまったのでは、何のため学校に行っているのか分からない。

 そこで角栄は先のとがった鉛筆を掌(てのひら)にあてておき、眠気に負けてコクリとやると、鉛筆の先が掌にあたって、その痛さで目が覚めるように工夫していました。

実際、何度かコクリとやって、鉛筆の芯が親指深く突き刺さったことがありました。その芯は最後まで角栄の指に残ったままだったといいます。

4、まとめ

 ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。いかがだったでしょうか。コンピュータ付きブルドーザーと言われる角栄ですが、それは単に生まれつき地頭が良かったから、記憶力が抜群に優れていたから、だけではありません。必死の血のにじむような努力が陰にはあったからなんですね。以下、まとめとなります。

●角栄は朝2時に起き、必死で資料を読み込んでいた。
●新聞も全紙読んで、細かい記事まで記憶していた。
●若い時から努力家だった。

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著者情報

ニックネームはハチマキめがね 。下水道の清掃員、マンホールから地下にもぐり数百匹のゴキブリとウンチまみれのドブねずみと対決→生鮮市場 でサンマやイワシなど小魚を売る。毎日、ギャング集団のマグロチームに追い立てられ少し弱り気味。市場の新鮮な旬の魚で一杯やるのが何よりの楽しみです。ド底辺の世界から世間をながめ、気になる話題を独自の切り口で語ってみました。「満月」のように太陽の光を浴びて夜道をやわらかく照らすような存在でありたいと思います。よろしくお願いします!

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