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下村博文vs森喜朗「私は森さんに嫌われている」

 

自民党の下村博文・元文部科学相が近く開かれる衆院政治倫理審査会(政倫審)に出席する見通しです。
呼ばれたわけでもないのに自ら手を挙げ政倫審に出席するのはなぜでしょう。そこには引退してもなお安倍派に影響力を持つドン、森喜朗元首相との確執があります。下村氏が政倫審をテコに森氏の追い落としを図る可能性がでてきました。どういうことか、見ていきましょう。

 

 

目次

安倍派、新体制で露骨な下村外し

1-1 安倍氏が凶弾に倒れる

2022年7月8日、安倍派会長である安倍晋三首相が近鉄大和西大寺駅前のガードレールに囲まれた場所で、参院選の応援演説中に銃で撃たれ、搬送先で亡くなりました。この後、自民党の最大派閥である安倍派は揺れに揺れ、新体制が固まるまで1年がかかりました。

 

1-2 新体制の主要メンバーが発足、集団指導体制に

新体制は「常任幹事会」15人の合議制となりました。2023年の8月に党本部で開いた総会で決まりましたが、安倍氏の後継会長は空席のままとし、塩谷立氏が座長に就任、同時に同派の運営方針を決める15人の合議体「常任幹事会」を新設しました。

安倍派の中核は派内の実力者で構成する「5人衆」で、高木毅国対委員長、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長が名を連ねました。

 

1-3 重鎮、下村氏は蚊帳の外

 注目されたのは安倍派の幹部に「誰が選ばれたのか」ではなく、「誰が選ばれなかったのか」です。話題の中心は下村博文・元文部科学相でした。自民党の政調会長まで務めた重鎮ですから本来なら安倍派新体制の中心に座るべき人物です。その下村氏が新体制に全く加わることがなかったわけですから、大きな騒動となりました。

安倍派の会長代理として安倍氏死去後の派閥運営に関わってきました。会長代理だけでなく、常任幹事会のメンバーからも外れました。下村氏を常任幹事会から外した理由について塩谷氏は「派内での調整と森氏の意向が結果的に同じだった」とし、森喜朗氏を含む安倍派全体の意向として下村氏を外したことを明らかにしました。塩谷氏はわざわざ「森氏の意向」を「派内での調整」とは別に切り出して言及したわけですから、森氏がこの人事でいかに大きな影響力を発揮したかがよく分かります。

下村氏は会合の後、記者団に自身の処遇に関する森喜朗氏の影響について「私の立場ではわからない。(塩谷)新座長に聞いてほしい」とあえて言及を避けましたが、言葉を濁した分だけ下村氏の無念さが分かります。

 


下村氏が森氏に「嫌われている」わけ

2-1 新国立競技場、森が推す案を下村が白紙撤回

下村氏と森氏の確執の起点を見てみましょう。

それは2020年東京五輪・パラリンピックでした。主会場となる新国立競技場の建設計画で、2520億円に膨れ上がった総工費に世論の批判が集まり、白紙に戻された一件がありました。この見直しを強く推し進めたのが当時、文部科学相だった下村博文氏、そして白紙に戻された当初案を推していたのが森喜朗元首相だったのです。2人はここで強く対立しました。

森喜朗氏が推したのはイラク出身で英国在住の建築家、ザハ・ハディド氏がデザインしたもので、「キールアーチ」と呼ばれる2本の巨大な弓状構造物が特徴でした。これに対して下村氏は「あまりにコストがかさんでしまい、国民の理解が得られない」とし、建築家の槙文彦氏らによる見直し案の採用を提案したのです。開閉式屋根を外して総工費を1000億円以上カットするもので当時の首相だった安倍晋三氏に「ザハ案をやめても、これでいけます」と進言し、ザハ案白紙撤回の道筋をつけたのでした。以来、下村氏と森氏との不仲が始まっていきます。

 

 

2-2 下村、「私を会長に」と直談判

 安倍氏が凶弾に倒れ、安倍派新体制を立ち上げる際のことです。この時、下村氏が森氏を訪ね「私を会長に」と懇願したという情報が出回りました。

ノンフィクション作家の森功氏の取材によりますと下村氏が、森氏を訪ね「2つ入っています。2000万あります」と言って紙袋を手渡そうとしたと言います。場所は東京・赤坂にある森元首相のプライベートオフィスでした。

 

以下、森功氏の取材です。

下村氏はパーテーションで仕切られた左側の応接スペースのソファーで待機した。ほどなくして森が杖をついて現れ、椅子に腰かけた。

「ご無沙汰をしていました」

 下村が丁寧に頭を下げると、森が凄みを利かせた。

「君、ご無沙汰って、いつからだと思ってるんだ。無沙汰をしていたということを、君は認めるんだな」

 すると、下村はソファーから右側に滑り出て正座した。そのまま居住まいを正して床に頭を擦り付けた。

「これまでの無礼をお許しください。(私は)どうしても会長になりたいんです。お許しいいだきたく……」〉

「わずかですが……」

下村は持参していた薄茶色の手提げ袋を森の前に差し出した。

「これまでのご無礼を、お許しをいただきたいと思いまして」

「2つ入っています。2000万あります」

 森の怒気は呆気に変わった。

「君は、何というバカなことをするんだ。清和会の会長を2000万円というそれだけの金額で買えるとでも思っているのかね。もう帰ってくれ。これ以上ここにいたら、俺はこのことを人に言うぞ。おい、お帰りだ」

 

 結局、下村氏は紙袋を持ち帰り、会長就任は叶わなかった。

それどころか、新体制では幹部入りを許されなかった。

 

下村氏は森氏に対し「土下座したこともないし、2000万円を渡した事実もない」と記事を否定していますが、森氏との面談し「会長になりたい意思を伝えた」こと自体は否定していません。安倍派の新体制を立ち上げる際、下村氏と森氏が直接会い、それが逆にこじれる事件があったことは間違いありません。

座して死を待てない

3-1 総理になりたい下村

下村氏は、将来の自民党総裁選への挑戦について「政治家なので、この国の政治への責任をより持つ立場にはなりたいという思いはある」と全く否定していません。安倍派幹部職を外された当初は「しっかり、まず清和研の仲間を支えていくということだ。縁の下の力持ちとして貢献したい」と語っていましたが、69歳という年齢を考えれば残り時間も少ないですし、このままでは総理の目どころか、政治生命の存続すら危うい状況にあります。このまま手をこまねいていれば早晩、森氏から引退勧告を受けることになるでしょう。座して死を待つことにもなりかねません。

3-2 政倫審は決戦の場

下村氏の政倫審への出席は厳しい現状打破のための最後の一手だったと言えます。2006年までの計7年間、安倍派の会長を務めていた森氏をめぐっては、20年以上前に始まったとされる裏金づくりの張本人との見方も強くあります。下村氏が政倫審に出席して安倍派の裏金問題を洗いざらい話してしまえば森氏を直撃することが可能で、森氏の影響力は大きくそがれることになります。束ね役だった森氏が失脚すれば安倍派の分裂なども予想されますが、このままでは、どのみち下村氏が浮かぶ瀬はないわけですから混乱は承知のうえであえて勝負に打って出たと言えるでしょう。

まとめ

 

●2022年、安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、その1年後、安倍派は新体制を確立するが、下村氏は完全に外された。
●「下村外し」には森喜朗・元首相の意向が働く。下村氏、直談判するも裏目に出る。
●首相の座を狙う下村氏。政倫審は森追い落としの場となる可能性も。座して死を待たず、勝負に出た。

 


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著者情報

ニックネームはハチマキめがね 。下水道の清掃員、マンホールから地下にもぐり数百匹のゴキブリとウンチまみれのドブねずみと対決→生鮮市場 でサンマやイワシなど小魚を売る。毎日、ギャング集団のマグロチームに追い立てられ少し弱り気味。市場の新鮮な旬の魚で一杯やるのが何よりの楽しみです。ド底辺の世界から世間をながめ、気になる話題を独自の切り口で語ってみました。「満月」のように太陽の光を浴びて夜道をやわらかく照らすような存在でありたいと思います。よろしくお願いします!

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