高偏差値の中卒芸人、千原ジュニア 松本人志の後釜になれるか

お笑い芸人、松本人志さんがテレビの画面から姿を消して3か月以上。決着までにさらに1年半以上かかるのは確実です。そんななか「松本人志の後釜」として最有力視されているのが千原ジュニアさん。松本人志さんと常に行動を共にし、松本さんの引き立てで、スターダムを駆け上がってきたのですが、確かにたくさんいる吉本興業の芸人さんのなかでも会話のキレは抜群で、キラッと光る頭の良さを感じさせます。

実際、千原さんってどんな人なのでしょうか。
学歴は?本当に頭脳は明晰なの?気になりますよね。一緒に見ていきましょう。

●千原ジュニアさん、高校中退なのに偏差値高い
●松本人志さんとは蜜月だったのでは?
●本人も狙う「ポスト松本人志」

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月並みなサクセスストーリーを断念、「芸人として、のし上がる」

1-1 地方の名門進学校を中退

千原ジュニアさんの最終学歴は京都共栄学園高校中退です。高校を中退しているわけですから千原さん自身「オレ、中卒やから」と言っています。けれども実はあまり知られていませんが、共栄学園高校は私立で地元の京都府北部地域では有名な進学校なんです。千原さんは中学も共栄学園でして、かなり教育熱心な家庭で育ったことが分かります。千原さんが生まれ育った京都府北部の福知山市は京都市内から電車で1時間以上かかる小さな町ですから、京都市内の進学校に通うのは事実上、難しい。そのため地元の進学校に中学から進んだのですが、親の相当の期待を背負っていたことだけは間違いありません。世間の狭い田舎の町で、進学校に通わせるのは親も本人も相当の覚悟をしたはずです。おそらく京都大学か東京の早慶上智クラスを目指していたものと思われます。兄のせいじも千原ジュニアさんのことを「基本まじめ」と評価していますが、お兄さんの言っている意味はよく分かりますよね。

1-2 強い向上心、親に頼み込み塾に

高校時代は「1つの授業につき教室の前後に2人の教員が付いて、周りの人は猛勉強をしていた」と振り返っています。千原さんの話では「小学校時代は周りの友人と悪行をしていたことから、ある日友人の家へいつものように遊びの誘いに行くと、中から親が出てきて『息子はいない』と言われ、帰り際に家の中から親の『千原くんと遊んだらあかん』という声が聞こえてきたというエピソードが有名ですが、それは「芸人」というイメージづくりのため、本人も意図的に振りまいているエピソードの一つです。共栄中学校にも「親に頼み込んで塾に行かせてもらった」と話しており、高校を中退するまでは強い向学心と上昇志向を持っていた青年でした。

1-3 性格は「超」神経質

千原さんは「かなり神経質」というのが芸人仲間の評価です。「隣の部屋で髪の毛を切る音で目が覚める」ほど。それは学生時代からのことでして高校時代には様々のことで思い悩みや引きこもりに陥って孤立します。そして悩んだ挙句にある日、学校に行った後「もうこんなところにいても自分は何も得ることができない」と思い、帰り道で橋から川に制服を投げ捨て、それ以来学校に行く事は無かったといいます。共栄学園高校の制服は青色なのですが、これは地元の高校生にとっては憧れの制服です。その制服を投げ捨てたということは、千原さんも何かを思い切って吹っ切りたかったのでしょうね。制服を投げ捨てた瞬間は「有名大学への進学」、「エリートビジネスマンに」という世間一般のサクセスストーリーを吹っ切った瞬間でもありました。

 その後、千原ジュニアさんは4歳年上の実兄のせいじさんに誘われて、芸人の道に進みます。NSCへ出向いたジュニアは、せいじに「明後日までにネタつくってこい」と言われ、言いつけどおりにネタをつくり上げたと言います。そのネタを披露したところ生徒を前に爆笑をとり「これはいける。俺にはこれしかない、この世界で闘っていけるんや」と思い、高校を2か月で中退したといいます。たった3日でつくったネタがウケるなんてやっぱりすごい。千原さんの地頭の良さが伺えるエピソードですね。

1-4 生真面目に遊ぶ、遊びをやめたら芸人は終わり

千原さんは本当によく遊びます。しかし、それはストイックな遊びです。「俺ら吉本は遊んでナンボみたいな」。「もう食い散らかす。それが芸人や、っていうところのレールにいる」と話していますが、とにかく必死で面白いネタを探し回っている。千原さんは、誰か有名な師匠に弟子入りして徹底的に芸を仕込まれたわけでもないので、ネタが切れた時点でもう芸人としては終わりです。それをよく分かっているから常に遊びまわるのです。ここにも「基本まじめ」という兄のせいじさんの言葉が当てはまりますよね。時に千原さんの芸に何か刹那的なところがあるのは、裏にこの真面目さがあるからでしょうね。

1-5 「レギュラー(番組)ください」

こんなエピソードもあります。千原さんがバイク事故から復帰したての頃。千原さんが、さんまのところに挨拶に行った際、「退院祝いに何が欲しい?」と聞かれたのですが、答えは「レギュラー(番組)です」。半分はジョークだったといいますが、後日実際にさんまの深夜番組にレギュラー出演することが決まったのだといいます。これに対してさんまは「ええ話みたいになってるけど、ただ実力で選んだだけ」とはぐらかしています。苦労人のさんまさんの人柄を物語るとともに、千原さんがいかに生真面目な人なのかを表していますね。

「松本さん、大変やなあ」

2-1 関西芸人では終わらない 

 進学校を中退し、決まり切ったサクセスストーリーをあきらめた千原さん。しかし、それで「のし上がってやる」という上昇志向が消えたわけではありませんでした。大阪での若手時代、千原ジュニアさんはいつも鋭い目つきで、「飲み会の席でも大喜利を始める」「東京への対抗意識から加藤浩次(極楽とんぼ)に喧嘩を売る」といった状況でした。真面目な性格なので「やるからには徹底」してしまったのでしょうね。お笑いにストイックで尖っていたことから「ジャックナイフ」と呼ばれていました。

 その後、千原さんは東京に進出します。関西芸人という枠を取っ払いたかったといいます。そして、その千原さんを引き上げたのが松本人志さんでした。ジュニアさんは「僕、東京に出て来てからずーっと、松本さんとずーっと一緒におらしてもろたんですよ」と松本との関係を説明しています。松本さんも「まあまあそばに置いといたらけっこうチャッチャ、チャッチャ動くタイプなんで、先輩からしたら楽な後輩やと思うんですよ」と話し可愛がったようです。

相性も良かったのでしょう。千原さんも神経質ですが、松本さんも実は「かなり神経質なタイプで千原さん以上」。ですからお互いに気を遣うポイントが分かっていたのでしょうね。

 松本さんも「ジュニアは一緒にいて楽なタイプ」と評しています。神経質な松本さんが気を遣わずに済むよう千原さんは徹底的に気を配ったのでしょう。さすがですね。

2-2 松本人志との別れ

 しかし、別れは突然、やってきます。千原さんが東京に出てきて「10年くらいたったある日、二人で同じように飲んでたら、ある日突然、『お前、もう俺と飲まへん方がいいなあ』と言われた」といったというのです。そして「お前もう俺とおらん方がいいわ、ほな!」と言って』って去って行ったといいます。それからプライベートで千原さんは「ほぼ松本さんと(一緒には)いなくなった」ということです。

 いったい2人の間に何があったのでしょう。後に落語家の笑福亭鶴瓶さんが松本さんに確かめたところ、松本さんは「アイツは俺のそばにいたら、俺の、松本しか吸収できない。ジュニアはジュニアの世界を持ってるから、アイツは俺から別れた方がいい。アイツ自身のものになった方がいいと思った」と別れを告げた理由を説明したといいます。いい話ですね。

 ただ、プライベートでの付き合いは途絶えても仕事では蜜月は続きました。「すべらない話」で千原さんは相変わらず松本さんのそばにいるし、千原さんのLIVEには松本さんが出演する、そんな良好な関係が続きました。

2-3 「浜田さんの楽屋の前の行列、ラーマン二郎ぐらい」

 千原さんにとって松本さんとプライベートで離別したことは幸いだったかもしれません。文春砲を皮切りとした「性加害事件」問題で千原さんが具体的に関与したという事実は今のところ出てきていません。もしもプライベートも含め四六時中いっしょにいる関係が続いていたら千原さんは厳しい局面に立たされていたかもしれません。「ABEMA的ニュースショー」でも千原ジュニアは「松本さん、たいへんやなあ」とかなり距離を置いた発言をしています。

さらに同じ番組で、ダウンタウン浜田雅功さんと共演した際、ジュニアさんが番組終了後に浜田さんの楽屋にあいさつに行ったと時のことについてもこんなふうに語っています。「松本の芸能活動休止発表後ということもあってか、浜田の楽屋の前には関係者の行列ができていた。この行列、山手通りのラーメン二郎ぐらいの感じ」だったというのです。

 なんとも余裕ですね。批判することもなく、不用意に擁護することもしない。ラーメン二郎のくだりは滑り気味ですが、自分の立ち位置をよく把握した頭のいい発言です。

 松本さんがテレビから消え、舞台が回ると今度は自分にどんな役回りが回ってくるのか、良く理解しているといえます。

ポスト松本人志へ、ブレーキとアクセル

3-1 難病という時限爆弾

 千原さんの今後の活躍を占ううえで、どうしても触れておかなければならないのが病気の問題です。千原さんは「特発性大腿骨頭壊死症」という病気を患いました。最初は「ちょっと右の股関節が痛いな」という程度だったといいます。時間が経過しても痛みが引かず、精密に検査をしたところ大腿骨が壊死していることが発覚しました。最後は痛みのために足を引きずる形になったといいます。

しかし、これは人工股関節を入れる手術で解決しました。手術前は毎日寝ていても4~5回起きるという生活が続いていたといい、「思い切って術をするという決断をした」ことで激しい痛みから解放されました。

 今後、この病気とどう付き合っていくのか。人工股関節を取り換える必要性が出てくる可能性もあり、やや不安材料ではあります。大事に至らないことを祈るばかりです。

3-2 家族という宝

千原さんは既婚者です。2015年9月28日に結婚しました。お相手はりなさん(北海道出身)といいます。

千原さんが41歳、りなさんは23歳の時の結婚で年の差は何と18歳。りなさんは童顔で可愛らしいタイプでして、結婚当初、千原さんは「嫁さんは伊東美咲さんや芹那さんに似ている」とコメントしています。

若い頃の千原さんはとにかくモテました。スレンダー系の美女が好きで内田有紀さんや舞川あいくさんとの熱愛報道もありましたが、今はりなさんと幸せな毎日を送っているということです。

千原ジュニアさんとりなさんの出会いは千原さんの一目惚れです。りなさんが羽田空港のショップスタッフとして働いていて、そこに千原ジュニアさんが来て一瞬で心奪われたそうです。

連絡先を交換したあとは5~6回ほど食事に行き、千原ジュニアさんより「もしよかったら、どうでしょう」と告白し無事交際スタートしたようです。

りなさんは結婚当時23歳でしたが、金銭感覚が非常にしっかりしており結婚の決め手になったそうです。千原さんはデートのたびに、帰りのタクシー代を渡していたようですが、すると後日必ず「先日はタクシー代ありがとうございました」とお礼とともに、おつりと領収書を丁寧に封筒に入れて返していたようです。

この行動にグッと来たそうです。

ちなみに千原さんとりなさんとの間には子供があり、二人とも男の子です。

家族という支えを得た千原さん、ますます芸人としてパワーアップしていくことは間違いなさそうです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。千原さん、かなりの人物ですよね。頭はいい。真面目。そして何より上昇志向はハンパない。必ず「ポスト松本人志」のポジションを狙いに行くでしょう。注目です。

●京都の進学校に入学、地頭はいい。努力家
●松本人志との適度な距離感
●難病抱えるが、家族が支え

ここまでお読みいただきありがとうございました。


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著者情報

ニックネームはハチマキめがね 。下水道の清掃員、マンホールから地下にもぐり数百匹のゴキブリとウンチまみれのドブねずみと対決→生鮮市場 でサンマやイワシなど小魚を売る。毎日、ギャング集団のマグロチームに追い立てられ少し弱り気味、、、。そんな中、日頃気になる話題を独自の切り口で語ってみました。「満月」のように太陽の光を浴びて夜道を照らすような存在でありたいと思います。よろしくお願いします!

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