【最後の宰相、田中角栄③】角栄がハムを現金に変えた

剛腕政治家、田中角栄。力の源泉には、コンピューター並みの頭の良さ、決断力、演説のうまさ…。いろいろあります。しかし、最も大きかったのが「金力(きんりょく)」。

それは霞が関で最高官庁とされる大蔵省の官僚たちを束ね、掌握していく際にも力を発揮しました。エピソードを紹介いたしましょう。是非、読んでみてくださいね。このブログのポイントは以下の通りです。

●角栄は最高官庁の大蔵省をどうやって掌握したか
●お金の使い方

1-1、大蔵官僚が支えた角栄の出世

 角栄は腕っぷしの強い政治家でした。それは間違いありません。しかし、その腕っぷしを支えていた筆頭は大蔵省の官僚たちでした。

「我は富士山、あとは並びの山」――。大蔵省は日本を動かす霞が関のなかでも特別の官庁です。予算配分、徴税、金融政策……。お金にまつわるすべての権限がこの官庁に集中しているのです。これこそが大蔵省は最高官庁と呼ばれる所以です。

角栄はこの官庁を掌握しました。それは角栄が1962年、44歳という異例の若さで大蔵大臣になり、以来、政治家として猛スピードで出世の階段を上っていったことが証明しています。

1-2、お金の力、実際の力。ハムではダメだ。

 では、どうやって。ここで出てくるのが、金力(きんりょく)です。新潟の山あいの村でお金の苦労をした角栄は嫌というほどお金の苦労をしてきました。だからこそお金のありがたみも身に染みてわかっていました。それはキャリア官僚でも同じです。

 角栄が大蔵大臣時代、こんなことがありました。以下、東京都知事だった石原慎太郎の証言です。

「ある大蔵省の高官がわたしに話したところだが、田中角栄氏が大蔵大臣に就任するまで、大蔵大臣から大蔵官僚に対する中元や歳暮はせいぜい官僚夫人用のゆかた地かハムの詰め合わせ程度だった」

「それが彼(角栄)が大臣に就任して、一挙に、当時の金で数十万円の現金となった」

(『文芸春秋』より)

1-3、「握りはダメだ。稲荷ずしにしろ」

ハムか現金か――。綺麗なのはハムでしょう。しかし実際力があるのは現金です。実際にもらって現金ほどありがたいものはない。角栄はよくよくそこが分かっていました。

しかし、ハムの詰め合わせ程度の金額では意味がありません。断れる。断れない程度の魅力的な金額でなければなりません。「数十万円」というのは当時としてはかなり魅力的な金額です。なかなか断れない。もらった方は、実際にとても助かります。

お正月などもそうでした。角栄の自宅にはたくさんの客がやってくる。お酒も振舞いますから、ちょっとした食事も用意しなければならない。その時に、こんな指示を出します。

「上品な握りずしはダメだぞ。あれはしばらく置くと、すぐにネタが乾いてしまう。そうなるとまずくなる。いいのは稲荷ずしだ。あれはアゲで寿司ネタをくるんでいるから、いつまでも乾かない。稲荷ずしにしておいてくれ」

 これが角栄なのです。見栄なんかにとらわれない。握りずしは上等だしおいしい。でも、たくさんの人の前で自分から手を出しては、食べにくい。みんなが遠慮する。そのうちにネタも乾いて台無しになってしまう。

 その点、稲荷ずしは違う。お箸なんかなくたって食べられる。それほど高価なものでもないから、ちょっとつまみやすい。みんなもお腹が膨れて、助かる。

 角栄は実に気配り上手でしたし、リアリストだったのです。

 相手のメンツや状況を考えながら、本当に喜んでくれるタイミングで絶妙に本当に欲しいものを渡す。それで大蔵官僚たちも魅了されていったのですね。

 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

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著者情報

ニックネームはハチマキめがね 。下水道の清掃員、マンホールから地下にもぐり数百匹のゴキブリとウンチまみれのドブねずみと対決→生鮮市場 でサンマやイワシなど小魚を売る。毎日、ギャング集団のマグロチームに追い立てられ少し弱り気味、、、。そんな中、日頃気になる話題を独自の切り口で語ってみました。「満月」のように太陽の光を浴びて夜道を照らすような存在でありたいと思います。よろしくお願いします!

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