サカナクションのボーカリストとして、日本の音楽シーンに独自の存在感を放つ山口一郎さん。
彼の生み出す深遠で文学的な歌詞と、実験的なサウンドは本当に素敵ですよね。
そんな山口一郎さん、「実家がお金持ち」っていう噂があります。
本当でしょうか。
父親の職業も気になります。
サカナクションの山口一郎の実家は金持ち?父親の職業も徹底調査します。
サカナクションの山口一郎の実家は金持ち?
【 #サカナクション #山口一郎
— NHK PR (@NHK_PR) October 27, 2025
が語る #Oasis 】
クローズアップ現代
「オアシス再結成 なぜ彼らの歌は“刺さる”のか」
放送後、山口一郎さんの楽屋で、
お尋ねしました。
「あなたにとって、Oasisとは?」
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サカナクションのボーカリスト、山口一郎さんのルーツは、北海道の情緒あふれる港町、小樽市にあります。
結論的には決してお金持ちではありませんでした。
実家は小樽の高台にある喫茶店「メリーゴーランド」
山口一郎さんのご両親は喫茶店「メリーゴーランド」を営んでおられます。

ファンにとっては「聖地」の一つですね。
この工房は、山口一郎さんが幼少期から独自の感性を育む土壌となった場所です。
特にこの実家は小樽の高台に位置しており、訪れたお笑い芸人の加藤浩次さん(同じく小樽出身)が「最高のビューじゃない!」と感動するほどの絶景が広がっています。
眼下には小樽の街並みと、その先の小樽港、そして石狩湾が一望できます。
地元の知人や観光客などが訪れましたが、決して繁盛店というほどでもなく、生活は豊かとはいえなかったといいます。
ただ、山口一郎さんは喫茶店で流れている曲を聴いて育ち、小学生時代に家にあったフォークギターを弾きはじめたといいますから、現在の音楽の原点ですね。
「こどものころ、フォークシンガーの友部正人さんが実家の喫茶店にコンサートをしに来てくれたんですよ。当時の僕は大人が真剣な顔で歌っている姿を見て、衝撃を受けました。まわりの人たちも、友部さんの曲をマジメな表情で聴いていたのが印象的で、「音楽ってすごい! 僕も音楽をやりたい!」と思ったのがきっかけですね」

楽曲にまで刻まれた実家の情景
この実家からの情景は、山口一郎さんの初期の楽曲、特にアルバム『シンシロ』に収録されている「ライトダンス」の歌詞に直接的に影響を与えています。
「坂の上、白い家」という歌詞が出てきますが、実家はまさにそのものの情景を描写していることを明かしています。
山口一郎さんのイマジネーションの源流が、この小樽の高台にある実家からの情景にあったことが分かります。
意外な形で判明した「実家」との深いつながり
山口一郎さんの家庭環境に対する世間の関心が高まるなか、2021年には本人が語ったエピソードが、実家との関係性の深さを示すこととなりました。
山口一郎さんは、両親に頼まれ、「田舎の実家の隣の隣の家を買った」ことを明かしています。
その時に際に生まれて初めて固定資産税を支払ったそうです。
「固定資産税ってこんなにするの!」と、びっくりしたと語っています。
このエピソードは山口一郎さんが生家がある小樽と、今なお強く結びついていることの証拠ですね。
山口一郎さんの所得は億単位でしょう。
実家近くの不動産購入で固定資産税の高さに驚いたという金銭感覚はきっと、山口一郎さんが単なる「金持ちのボンボン」ではないからなのでしょうね。
中学・高校の学歴について
山口一郎さんは、小樽市立稲穂小学校を卒業しました。
この小学校は、元東京都知事の石原慎太郎さんと俳優の石原裕次郎さんが在籍していたことで有名です。
小樽市立西陵中学校を経て札幌第一高等学校(偏差値55)に進学しました。
中学・高校時代のエピソードとしては、中学校の頃からオリジナルの曲を作り、高校に入ってからそれをアレンジしていたそうです。
中学・高校時代には本をたくさん読んだとインタビューで述べています。
高校はクラスのほとんどがスポーツ特待生だったと振り返っています。
山口一郎さんも小中学校時代は野球部に所属していましたので、学校の雰囲気にはなじんでいたでしょうね。
高校時代にはサカナクションのメンバーでこの高校の同級生だった岩寺基晴さんと「ダッチマン」というバンドを組んで音楽活動をしていました。
アルバイトもしていて高校1年生の時には地元小樽市内のCDレンタルショップでゲーム部門も担当しています。
かなりアルバイトも熱心にしていてゲームのことを研究し、売れると見込んだダンスゲームを上司に頼んでたくさん仕入れてもらったらヒットした成功談もあるんでそうです。
インタビューで述べていました。
高校には東大や京大に進学する友人もいたといいますが、山口一郎さんは高校卒業後は大学には進学しませんでした。
そして音楽活動に専念します。
高校時代にすでにビクターと契約していたんですが、以降はなかなかサウンドを認めてもらえずに、かなり悩んだ時期もあったそうです。
23歳の時にはミュージシャンを辞めてカメラマンになろうと思い、実際に結婚式場のカメラマンのアシスタントの面接に行ったそうです。
それでもあきらめずに25歳の時にサカナクションを結成し、その2年後にメジャーデビューを果たしました。
山口一郎の父親の職業も徹底調査!
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— BRUTUS (@BRUTUS_mag) October 15, 2025
そんな山口一郎さんのお父さんはどんな人なのでしょうか。
父親は多才な経歴を持つ山口保さん
山口一郎さんの父親は、山口保(やまぐち たもつ)さんという方です。
とても生き方が個性的で多才です。
この父親の存在が、山口一郎さんの型破りな感性の大きな源となっています。
立命館大学中退後、約3年間のヨーロッパ放浪
山口保さんは1947年に岐阜県飛騨で生まれました。
彼は、京都の立命館大学法学部に進学しますが、1970年に学生運動を離れる形で大学を中退します。
その後、京都の日仏学院で学び、1971年にロシア経由でヨーロッパへ渡りました。
ヨーロッパには約3年間滞在し、移動のほとんどをヒッチハイクでまわるという壮大な旅を敢行しています。
最初に滞在したパリでは建具屋の工房に9か月ほど下宿しました。
特にスウェーデンでは、移動遊園地の看板画工として2年間働いたという異色の経歴を持っています。
木彫職人としての確立と元小樽市議会議員としての活動
1974年に帰国した後、1975年に28歳で北海道小樽市に移住し、まず喫茶店の経営を始めました。
そして、38歳頃から本格的に現在の木彫職人としての道を歩み始め、1982年には日本の伝統的な「沈め彫り」の技法を応用した独自の木彫技法を確立しました。
山口保さんは地域社会にも深く貢献しています。
1970年代には「小樽運河を守る会」の幹事として、小樽運河の埋め立てに反対し、その保存活動に尽力しました。
地方政治にも進出し、2015年まで小樽市議会議員を複数期務めるなど、小樽という地元への強い愛と責任感を持ち続けていました。
木彫職人という芸術家としての側面と、地域社会の歴史と未来に貢献する政治家としての側面があるんですね。
全く異なる二つの顔を持つ父親に育てられた経験こそが、山口一郎さんの複雑で奥行きのある音楽性を形成する決定的な要因となったと言えるでしょう。
まとめ
YouTubeの生配信ではなく、地上波全国放送でリアルタイムの山口一郎さんを見る⋯。
— みちよん (@michiyonn) October 27, 2025
よそいきいっくん、久しぶりな気が⋯(笑) pic.twitter.com/lwxfykURaE
サカナクションの山口一郎の実家は金持ち?父親の職業も徹底調査しました。
山口一郎さんの実家は、小樽の高台にある喫茶店「メリーゴーランド」です。
決してお金持ちではありませんでした。
父親である山口保さんは、ヨーロッパ放浪や移動遊園地の看板画工を経て、木彫職人として独立し、小樽市議会議員も務めた多才な人物です。この芸術的かつ社会的な背景が、一郎さんの音楽性の源流となっています。
