ミュージシャンの米津玄師さん(33)。
シンガーソングライター、作曲家、イラストレーターなど肩書は盛りだくさんで、本当に多彩なアーティストさんですよね。
ボーカロイドのトップクリエイター、ハチとしても名をはせ、米津玄師として、生の声で世に出てきた時はファンを驚かせました。
それでもなかなか 表には出てきてくれず、その実像は謎でした。
その分、「LEMON」での紅白出場も沸きまし、最近はメディアへの登場がポチポチ増えてきました。
嬉しい限りですね。
でも、プライベートにまだまだ謎だらけ。
いろんな噂もあります。
米津玄師さんの実家はお金持ち!父親や母親は?
気になりますよね?
米津玄師さんの実家はお金持ちなのか?父親や母親は?
調査してみました。
米津玄師の実家はお金持ち?
地球儀の制作中何もかもに諦めて死にかけてた時の写真 pic.twitter.com/wJyMNa7MWI
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) August 26, 2023
結論からいいますと、「上の下」かと思われます。
見ていきましょう。
小中高は地元の公立学校
米津玄師さんの実家は徳島県です。
どの地域かは公表はされていませんが、通っていた小中学校から、徳島市のようです。
小学校 徳島市立津田小学校
中学校 徳島市立津田中学校
中学校まではごく普通の学生さんだったようですね。
板東英二と三木武夫総理大臣が高校の先輩
徳島市には私立の学校もありますが数は少なく、人気なのは公立の学校で、お金持ちだから私立に行くというわけではないようです。
高校は徳島県立徳島商業高校
出身校の徳島商業高校は、甲子園優勝経験もあり、名前はよく知られていますよね。
公立高校だったんですね、驚きです。
元野球選手でタレントの坂東英二さんも卒業生です。
各種スポーツが盛んとの事ですが、他にも何と、三木武夫という内閣総理大臣を輩出しているのです!
文武両道の、すごい高校ですね。
ここに米津玄師さんが加わって、文武芸 三道!
三道鼎立(さんどうていりつ)というのですって。
開校は明治時代で歴史のある高校ですが、今も歴史を塗り替えてますね。
大阪の美術系専門学校へ
高校卒業後は実家を離れ、大阪芸術大学付属大阪美術専門学校へに進みました。
ご本人によると、特に何かを学びに行ったわけではなく、「遊びに行っていたようなもの」だったそうです。
この頃はバンドを組んだり、家で音楽を作ったりもされていました。
生活のためのバイトはしていなかった様子です。
米津さんは「決まった時間に起きたり、仕事に行ったりする人達を尊敬する」と仰っていますが、そういう社会の規律にはまった生活は苦手なようです。
ゆとりのある専門学校時代
大阪美術専門学校の学費は入学金・授業料・設備費で1年目は125万円、2年目106万円です。
一人暮らしのアパート代や生活費は当然費用がかかります。
一方、懐具合は余裕が感じられる米津玄師さんの専門学校生活。
ご実家は比較的経済的にゆとりのある家庭ではないか、と想像できます。
因みに学校は一年で中退し、その後は音楽に専念されています。
自宅にグランドピアノ? 中2から自宅機材で作曲
米津玄師さんにはお姉さんがいらっしゃり、ピアノを習っていたそうです。
ご自宅にはピアノがあり、それがグランドピアノだったとか。
そこから、「米津玄師さんの実家はお金持ち」との憶測が生まれたのですが、グランドピアノかどうかは分かっていません。
お姉さんが自宅でピアノを弾いていたのは事実で、米津さんは横でよく聴いていたそうです。
米津さん自身はピアノは習っていませんが、お姉さんが弾き間違えると分かったそうですよ。
音楽を始めるきっかけは「団子三兄弟」
米津玄師さんが音楽を始めるきっかけは何だったのでしょう?
音楽に初めて興味を持ったのは、小学生の時の「団子三兄弟」なんです。
もともと内向的な性格で、自分を閉ざしがちだったそうで、夢は音楽家ではなく漫画家だったんです。
自室でマンガを読んだり、絵を描くのが大好きで、それが精神安定剤のようなものになっていたと語っています。
ちなみマンガはジャンプをよく読んでいたんだとか。
一方で、それまでは音楽をあまり聴く事がなかったそうです。
ところが、小学生の時大流行した「団子三兄弟」が大流行し、これで人生が変わりました。
「運命的な出会いだった」
そう感じたそうです。
そして生まれて初めてCDを購入したんだそうです。
今でも自身の音楽の根底にこの曲があるのだそうですから、何だかカワイイですよね。
中学2年生の時に曲作り
曲を作り始めたのは中2の時で、ギターで作曲を始めたそうです。
中学2年生で既にDTM(デスクトップミュージック)を始め自宅で楽曲制作を行っていました。
またMTR(マルチトラックレコーダー)も使い始めています。
DMTとMTRって何?
ところで、DTMとMTRってどんなものでしょうか?
調べてみました。
DTMというのは、パソコンと専用ソフトを使って曲を作るのだそうです。
操作する時には ある程度の知識が必要なんですね。
DMTに適したパソコンは、普通の家庭で使うものより、少し性能が高いものが必要のなるそうですよ。
インターネットも通常よりは充実した環境が必要なんだそうです。
そうでないと途中で音楽が止まってしまう、気に入った音を再現できない、などなどいろいろ問題があるようです。
お金がかかるんです。
米津少年は部屋にこもって曲を作っていたそうですから、パソコンは親と共有でなくて、自分のものを買ってもらっていたと想像されます。
しかも、性能が高いものです。
DMTはMTRより録音機能、編曲機能は劣りますが、操作が比較的簡単で、誰もが気軽に音楽を作れるのだそうです。
その名の通り多重の録音ができるそうで、
例えば、ギターの音源とボーカルの音源、etc.. 別々に録ったものを重ねていくことができるそうです。
小型で持ち運びもしやすく、バンドのメンバーと共有したりするのにも適しているそうです。
実際米津さんは高校生時代、バンドメンバーとお金を出し合いマルチトラックレコーダーを購入したそうです。
金額は数万円からで、一般によく購入されているのは10万円以内の様でした。
こうみますと、こうなります。
・米津玄師さんは マンガやギター、楽曲作りの機器等 好きな物は買ってもらえていた。
・一人暮らしの専門学校生活もゆとりがあった。
実家はまあまあ以上のお金持ち、との結論です。
米津玄師の父親や母親についても調査
たくさんリツイート
させていただきましたが
この度
特番放送が決定致しました🐯💓『虎に翼×米津玄師スペシャル』
9月18日(水)[総合]よる7:57~米津さんと対談を
させていただきました!
本当に優しく面白い方でして
とっても楽しい時間を
過ごさせて頂きました☺
宝物です。
調査の結果、コンピューター関連の仕事だという事が分かりました。
寡黙で米津玄師さんが父親と話すことはほとんどないという事です。
見えてくるのは温かい普通の家庭で「カレーが大好き!」
米津さんの父親の職業が富士通なら、安定したご家庭だったんでしょうね。
美術の教員免許があり、家庭でチラシ作りの内職をしていた事もあったそうです。
米津玄師さんが小さい頃から絵が好きで描いていたのも、お母さんの影響があると言われています。
ちなみにカレーは「CoCo壱のカレーが世界で一番美味しい」んだそうです。
米津玄師は本名
今さらですが、“米津玄師” “よねづ けんし”って なかなか読めないですよね。
2017年にご本人がTwitterに投稿した所によると、「なぜ “げんし”ではなく“けんし”なのかは親に確認したことがないので自分でも不明」なんだそうです。
名前の読み方の前に、「えっ!本名だったんですか?!」って驚きますよね。
知的でカッコいい、意味不明のミステリアスな感じとか、ピッタリですよね。
米津さんは日本文学好き
難しい言葉をさらっと使ったり、歌詞にも反映されていたり、舌まいちゃいます。
こんなに特別な名前なのに、親に尋ねない米津さんも 独特のセンスというか。
それにしてもカッコいい!身長は188㎝!
米津玄師さん、他のアーティストが見上げるほど背が高いですね。
中央値でみると、お父さんが185cmだとするとお母さんは178cm。おっきいですね。
あくまでこれは平均値で、他の要素も絡むそうなので 空想程度で。
紅白出場は先祖への恩返しの気持ちから
米津さんはご両親について語られることはありませんが、母方の“大好きなおじいさん”についてはだ度々お話されています。
同じ徳島の、山々が連なる所に祖父母のお二人が住んでいて、山を駆け下りて転んだりした記憶が生き生きと残っているんだそうです。
LEMON制作中におじい様が亡くなられ、この楽曲にも大きな影響を与えた様です。
紅白で初めてメディアに姿を現したのは、おじい様、ご先祖様への感謝の気持ちがあったから、と語っています。
大好きだったジブリ作品からもらった「この世は生きるに値する」というメッセージ。
子供の頃は閉ざしていた自分、今は閉じきらないことを大切にしているそうです。
まとめ
米津玄師さんの最新アルバムを聴きながらちょっとドライブ行ってきます(はよ寝ろ)#米津玄師 #LOSTCORNER pic.twitter.com/wOkadSkRJC
ミュージシャンの米津玄師の実家はお金持ちなのか?父親や母親についても調査してきました。
「LEMON」での紅白出場は先祖への恩返しだなんて、意外に古風な面もあるんですね。
まだまだ若いので伸びしろは無限大、きっと世界で戦えるアーティストではないでしょうか。