田中角栄は小学校(新潟県二田小学校)卒。翻って角栄が大蔵大臣だった頃、入省してくるのは東大法学部トップクラス、在学中に司法試験に合格、公務員試験トップクラスという「三冠王」と呼ばれる者たちでした。
そんな秀才たちを角栄はどう操ったのでしょうか。自分から素っ裸になり、がっぷりと四つに組んだのです。このブログのポイントは以下の通りです。
●日本の秀才中の秀才を魅了した田中角栄の挨拶
●小学校卒の田中角栄のプライド
1 「すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」
まず、角栄が大蔵大臣に就任した時の挨拶からご紹介しましょう。
「自分が田中角栄である」
「ご存じのように、私は高等小学校卒業。諸君は全国から集まった秀才で、金融財政の専門家だ。しかし、棘(とげ)のある門松は、諸君よりいささか多くくぐってきていて、いささか仕事のコツをしっている」
「大臣室の扉はいつでも開けておくから、我と思わん者は誰でも訪ねてきてくれ。上司の許可はいらん」
「できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」
どうですか。「どんなヤツだ」「小学校卒だろう」。大蔵省の秀才たちが自分を訝(いぶか)しく思っていることを百も承知でこの挨拶です。下手な鎧はつけない。真っ裸になる。「責任は自分がとるから存分にやれ」。こうして相手を自分の懐に呼び込んでいくのです。あっという間に大蔵官僚の人心は掌握されていきました。
2 大蔵大臣室の扉は常にあいていた
大蔵省に新しく入省してきた新人キャリア官僚に対しても分け隔てしませんでした。一人前のプロとして接した。そこが潔かった。さっそくご紹介しましょう。角栄はついこの間まで学生だった1年生官僚にこんな挨拶をしたのです。
「諸君の上司にはバカがいるかもしれない。
もしバカがいたら、バカなんだから諸君のアイデアを理解できないだろう。
そんな時は迷わなくていい。遠慮なく大臣室に駆け込んでこい」
どうですか。大蔵省に入ったばかりの1年生が大臣にこんなことを言われたら。実際にこの場にいて挨拶を聞いた経済学者の野口悠紀雄氏もまいってしまったといいます。
それはそうですよね。1年生なのに先輩と同格に扱ってくれている。しかも大蔵大臣がです。いずれも国を動かす大志を抱いて入省してきたプライドの高い秀才たちですから、魅了されるのは当然です。
実際に角栄が大蔵大臣時は、大臣室の扉は常に開けっ放しだったといいます。
3 「土方(どかた)大臣とは言われたくない」
角栄は自分が小学校卒であることの意味を重々承知していました。厳密にいえば小学校を出たあと、中央工学校という今でいう専門学校をでてはいますが、これは正式に学校制度上の学校ではありません。ですので実質は小学校卒。弱みではありますが、使いようによっては武器にもなる。そこを良く理解していました。
プライドがなかったわけではありません。小学校時代の角栄は勉強もよくできましたし、「神童」といってもいい存在でした。父親の事業がうまくいっていたなら、角栄もまた東大を出て、大蔵省の講堂で他のキャリア官僚たちと大臣の就任挨拶を聞く側にいたかもしれません。
角栄は自分が大蔵大臣に就任し、官僚たちに先制パンチの挨拶をした後、こう言いました。
「土建屋あがりの土方(どかた)大臣と言われたくないからね」
周囲はどっと笑ったと言います。