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山田裕貴の実家はお金持ち?元プロ野球選手の父親から受け継いだものは何!

山田裕貴の実家はお金持ち?元プロ野球選手の父から受け継いだものは何!

日本のエンタメ界で存在感を放つ俳優、山田裕貴さん。

西野七瀬さんの旦那さんでもありますね。

山田裕貴さんの実家は愛知県名古屋市です。

ネット上では「山田裕貴の実家はお金持ちなのではないか」という噂も飛び交っていますが、その真相はどうなのでしょうか。

山田裕貴の実家はお金持ちなのか?元プロ野球選手の父から受け継いだものは何かを調査します。

目次

山田裕貴の実家はお金持ち?父親の職業はプロ野球選手!

まず山田裕貴さんの父親の職業からご紹介しましょう。

山田裕貴さんの父親は元プロ野球選手の山田和利さんです。

山田裕貴さんの父親である山田和利さんは、中日ドラゴンズと広島東洋カープで合計14年間にわたり現役選手として活躍しました。

1996年には自己最多となる年俸2540万円を記録しています。

当時の物価やプロ野球界の給与水準から考えると、現在の年収5000万円から6000万円以上の価値になります。

引退後もコーチやフロントスタッフとして約25年間、プロ野球という厳しい勝負の世界で安定したキャリアを築きました。

名古屋市内の実家は一等地にあり、とても手入れが行き届いたモデルハウスのような邸宅です。

山田裕貴さんの実家には、母親が15年以上かけて収集した全出演作や数千枚におよぶ新聞記事が保管された「山田裕貴記念館」のような部屋まであります。

経済的な豊かでとても恵まれた家庭環境であったことは間違いありません。

山田裕貴の実家は名古屋の一等地の規格外の豪邸

山田裕貴さんの実家がある名古屋市内の住宅街は、古くからの経済人やプロスポーツ関係者が住むことでも知られるエリアです。

山田裕貴さんの実家はテレビ番組で公開されたことがありますが、外観から内装までこだわり抜かれた邸宅です。

玄関の先にはプロ野球界のスターたちが集った広いリビングがあります。

掃除も行き届いていますが、これは父親の和利さんが「一流は身の回りから整える」という美学の表れです。

山田裕貴さんは幼少期から「一流」に触れる機会も豊富でした。

プロ野球選手の家庭として、移動は常に高級外車でした。

家族で訪れるレストランも、名古屋の財界人が集う老舗店や、予約の取れない高級店が日常でした。

誕生日や特別な記念日には、プロ野球界の豪華な人脈から贈られる希少なプレゼントが並びます。

「名古屋のセレブ家庭」そのもののな暮らしぶりでした。

10年間の白球と「父」という巨大な背番号30

山田裕貴さんは名古屋市立聖霊小学校から名古屋市立若水中学校時代まで10年間、野球に打ち込みました。

背番号は父親と同じ「30番」です。

毎日1000本以上の素振りを自分に課していたといいます。

けれども山田裕貴さんが所属していた強豪チーム「名古屋北シニア」には、のちにプロ入りするような才能のある選手がたくさんいました。

500人以上の同年代の選手たちと競い合いましたが頭角を現すことができず、「プロの息子」という看板に山田裕貴さんは追い詰められてしまいました。

そしてとうとう中学3年生の夏、10年間積み上げてきた「野球」を手放すと決めたといいます。

15歳の時です。

山田裕貴さんは父親の前で1時間以上も泣き続けました。

「プロ野球選手になれなくてごめん」

そんな山田裕貴さんに父親は怒ることなく「これからは自分で決めた道を歩め」と語ったそうです。

山田裕貴は甲子園の名門の東邦高等学校に進学

山田裕貴さんは東邦高等学校に進学しました。

甲子園出場回数で全国トップクラスを誇る名門校です。

しかし、山田裕貴さんは野球部には入りませんでした。

かつてのチームメイトたちが泥にまみれて練習に励むグラウンドを眺めていることが多かったといいます。

そして野球から離れ自信を失っていた時に、衝撃的だったのが文化祭での演劇体験でした。

数百人の生徒の前で演じたとき、人生で初めて「自分の居場所」を見つけた感覚に包まれたそうです。

野球は1番になれませんでしたが、役者で1番になろうと上京することを決めました。

元プロ野球選手の父親から受け継いだものは何!

山田裕貴さんが父親から受け継いだものは逆境でも挫けない精神とガンバリです。

家賃3万円の極貧生活と「100回以上」の不合格

山田裕貴さんの実家は経済的に豊かでしたが、上京する際に父親とは「仕送りは一切受けない」という約束をしました。

名古屋での生活を捨て、時給1000円前後の居酒屋アルバイトを掛け持ちしながら、家賃わずか3万円の数畳のアパートで数年間、過ごしました。

1食の予算を数百円に抑えるため、100円ショップのパスタを茹でて塩だけで食べる生活を何百日も続けました。

父親の力を借りれば、高級マンションに住むこともできたはずですが、山田裕貴さんはあえて「どん底」を選びました。

俳優としても認められず100回、200回と受けたオーディションは、ほとんど不合格でした。

そして2010年になってようやく応募総数約3万人の「D2オーディション」で準グランプリを受賞します。

3万分の1という確率です。

ここで山田裕貴さんの人生が変わり始めました。

2025年に訪れた父親との最期と受け継がれる「365日」の覚悟

山田裕貴さんが俳優として日の目を見始めた2025年、父親の和利さんが8月16日に他界します。

60歳でした。

2021年頃からがんを患い4年間の闘病生活でした。

父親の病状を、山田裕貴さんは一切公表せず仕事に専念しました。

「仕事に集中してほしい」という父親の思いに従ったのです。

2025年8月26日、彼がSNSに綴った「親族代表 山田裕貴」という署名には、山田裕貴さんの覚悟が宿っていました。

父親の葬儀では現役時代のユニフォームをそばに置き、父親へ「これからは自分が山田家の名前を背負って世界を驚かせる」と誓いました。

その直後の10月には、妹でモデルの山田麻生さんが結婚を発表しました。

まとめ

山田裕貴の実家はお金持ちなのか?元プロ野球選手の父から受け継いだものは何かを調査しました!

山田裕貴さんの実家は経済的に恵まれていたのは事実です。

しかし、山田裕貴さんは家賃3万円のアパートで自分を追い込みました。

15歳で野球を諦め、挫折せず役者として認められるようになりました。

山田裕貴の実家はお金持ちなのか?元プロ野球選手の父から受け継いだものは何かを調査しました!

山田裕貴の実家はお金持ち?元プロ野球選手の父から受け継いだものは何!

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著者情報

ニックネームはハチマキめがね 。下水道の清掃員、マンホールから地下にもぐり数百匹のゴキブリとウンチまみれのドブねずみと対決→生鮮市場 でサンマやイワシなど小魚を売る。毎日、ギャング集団のマグロチームに追い立てられ少し弱り気味。市場の新鮮な旬の魚で一杯やるのが何よりの楽しみです。ド底辺の世界から世間をながめ、気になる話題を独自の切り口で語ってみました。「満月」のように太陽の光を浴びて夜道をやわらかく照らすような存在でありたいと思います。よろしくお願いします!

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