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都知事選では伸び悩み 石丸伸二は田中角栄になれるか。
広島県の安芸高田市の市長、石丸伸二氏。8月の市長の任期満了を前に市長の職を辞し、東京都知事選に出馬しました。 真っ先に打ち出したのが地方への都市機能分散です。 かつて戦後、最後の宰相と呼ばれた田中角栄も『日本列島改造論』で同じく地方分権を... -
【最後の宰相、田中角栄⑭】世界を「アッ」と言わせる。米国の頭越しに日中国交正常化。
1972年7月7日。この日、自民党総裁選で福田赳夫を破り「角福戦争」を制した田中角栄は日本の首相となります。念願の総理のポストを射止めた角栄。初日から仕事に取り掛かります。「首相に就任した今は政治権力の絶頂だ」として最も難しい問題に向き合う... -
【最後の宰相、田中角栄⑬】酒品は品格、気遣いの闇将軍。1日3回の酒席で気を抜くことなし
田中角栄と言えば酒、宴席――。そんなイメージがあるかもしれません。確かに竹下登、金丸信に離反された晩年は心労が重なり酒浸りでウイスキーの『オールドパー』を手離すことができませんでした。しかし、それは本当に最後の最後の話。全盛期の角栄の酒は... -
【最後の宰相、田中角栄⑫】角栄の朝は2時。天才はこうして生まれた。
田中角栄は朝2時に起きた--。ご存じでしょうか。「朝2時まで飲んでいた」の間違いでは?そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、事実なのです。朝2時には起きていたのです。 では何のために?勉強です。毎晩午前零時までに官僚が角栄宅ま... -
【最後の宰相、田中角栄⑩】「オール霞が関で行こうじゃないか」。こうして『日本列島改造論』は生まれた
発行部数91万部となった大ベストセラー、田中角栄の著書『日本列島改造論』。土地の乱開発の呼び水となり、インフレを助長させた――。そんなふうに評価する人も多く必ずしも評判はよくありませんよね。でも本当は角栄が政治家として携わってきた国土開発... -
【最後の宰相、田中角栄⑨】母フメ「角栄をお願えします」。秘書官に深々と頭を下げた。
猛烈さ、剛腕さばかりが際立つ田中角栄。しかし、母親のフメさんは素朴で優しい日本の母でした。角栄が通産大臣になりお国入りした際、フメさんは同行した秘書官を上座に座らせ、深々と頭を下げたといいます。「どうか、角栄をよろしくお願えします」。素... -
【最後の宰相、田中角栄⑧】陳情、平均3分で処理。「あれは大丈夫だ、やっておいた。」
田中角栄の記憶力の良さはよく知られています。官僚の奥さんの誕生日を覚えていてプレゼントを渡したり、息子の受験を知っていて応援したり。とりわけこれが地元新潟の選挙民となると恐ろしいほどだったといいます。誰と誰が親戚で仲が良いのか、子供の頃... -
【最後の宰相、田中角栄⑦】「俺が会う、大臣室に通せ」。繊維業界のドンとの対決
リーダーというのは「仕事のしどころ」をよくわきまえているものです。田中角栄もそうでした。ここは政治家の仕事だというところは逃げずに受けて立ちました。日米繊維交渉の大詰め、繊維業界のドンが役所に押し掛けてきた時も逃げずに対決しました。そば... -
【最後の宰相、田中角栄⑥】初っ端の挨拶で勝負を制す。数字をあやつり、人をあやつる
人の印象は見た目が9割。確かに言えますよね。会った瞬間の最初の10秒で人の印象は決まります。とにかく初っ端が大切です。田中角栄は最初の挨拶の名手でした。相手が「どんな人なんだ?」と真っ白な状態でいる間に、印象的な挨拶で心を捉えてしまう。... -
【最後の宰相、田中角栄⑤】「俺の名刺を大蔵省に届けろ」
豪胆さと行動力で知られる田中角栄。しかし、実は部下への気配りを欠かさない繊細な神経の持ち主でもありました。とりわけ1971年の日米繊維交渉の大詰めで見せた通産省の官僚への配慮は見事でした。繊維交渉を決着させるにはどうしても2000億円の予算...
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